柏葉会の終わりに

2期3組 鈴木敏督

 
suzuki.jpg   今年2020年は一橋高校同窓会「柏葉会」創立70周年の記念の年になります。記念すべきその年が、いみじくも会の終わりを告げなければならぬとはなんという皮肉でしょう。 私は1952年卒の2期生です。お粗末極まるものではあったけれど、校章のついた当時としては立派なアルバムが手元にあります。事務職員を含めた38人の先生方の写真があります。普通科5組、機械科2組と、大勢の生徒たちの顔々、一人一人の住所録も付いています。 今年私は88歳を迎えますが、卒業してから今日まで、何十度となくこのアルバムをひっくり返し眺めたものです。その後消息を絶った奴、今でも付き合っている友、初めての恋をし、あえなく失恋した女子メート、青春の3年間を共に過ごした仲間たちに思いを馳せることは、単に懐かしいというだけでなく、自身の半生を振り返る貴重な時間を持つことにもつながるものです。 2003年に個人情報保護法が国会で成立しました。それ以後の卒業生たちは卒業生アルバムも作らず、半ば自動的に「柏葉会」に入会した一種の慣行も途絶えてしまったかに聞いています。IT時代の今日、個人情報は守らなければならないとは思いますが、美しき良き慣行までバッサリ切って捨てるような、一面的な法解釈は避けるべきでありました。 結果的に新入会員が激減してしまいます。それはそのまま柏葉会財政の逼迫につながってきます。ひと頃2千万円あった会のお金が、2007年に会長職を引き継いだ11期生の大平利宗氏が受け継いだお金は、たった1千万円だった由。 新たな入金がないまま手弁当で今日まで、柏葉会の発展・存続の為心を砕いてきた大平前会長をはじめ、小谷野勝一会長、藤代智恵相談役はじめ副会長、事務局各氏には頭が下がります。 関、高木両先生のほか各方面のご協力も虚しく閉会の日を迎えてしまうのは残念です。現在では定時制高校となりましたが、一橋高校は昔のまま厳として存在しています。校舎がある限り先生も生徒もそこに集まり続けることでしょう。そしていつの日か再び一橋高等学校の先輩から後輩まで、人間の太い絆が復活するであろうことを願ってやみません。卒業生の皆さん、どうか浅草橋駅で途中下車してください。足を延ばして母校を訪れてみてください。すると旧師や旧友の顔々が思い浮かび、懐かしさが湧き出してくることでしょう。2012年5月発行の「日本教育新聞」に、東京都立一橋高校についての記事が出ています。そのタイトルは「新たな役割求められる」であり、サブタイトルが「人間関係築く場に」でした。
一橋高校と私

10期3組 田所厚一郎

 
tadokorojpg  母校とは卒業以来疎遠でしたが、昭和50年に農林省を退官し家業を継いだことで、担任だった高木先生に『時間は有るだろう』と言われて同窓会に関わることになりました。 昭和54年会長に選出された頃は名簿をパンチカードで整理していましたが、名簿と柏葉会報の発行で精一杯でした。この頃は事務局も動かず、高木先生に頼んで会報発送作業に在校生を動員したことを思い出します。 平成元年の40周年記念事業にあたり6期生の事務局が発足し、名簿をパソコン管理出来る様になってホッとしたのを覚えています。又、永野先生御指導の「高校生の名言」に感心して平成5年に「名言915選」を刊行し、同9年に「名言カレンダー」を永年会員に配布したのも良い思い出です。 顧問の先生方や先輩並びに現執行部の方々には名簿や会報また総会等で大分御負担を掛けてしまいましたが、これが自分の限界だったと思っています。 平成18年に身体を壊して会長を関先生の尽力で発足した「一橋高校を応援する会」の大平会長に交代しましたが、同窓会の存続基盤が失われてゆく時期に後事を託したので申し訳なかったです。 一橋高校との付き合いがこんなに永くなるとは思いもしませんでしたが、今となっては全て良い思い出です。これからも時々アルバムや記念誌を眺めてみようと思います。
私にとっての一橋

24期 大塚謙一

 
ohtsuka.jpg  今まで何度か同窓会の会報等に投稿させて頂いた事がある。 同窓会報以外のものも合わせると.現役時代も含め結構色々書かせて頂いた。振り返ってみると、生徒会、文化祭、クラブ活動、受験、教員生活の事等、自分で積極的に切り開いて取り組んでいるように書かれているけれど、今あらためて思い起こすと、成り行きに任せて色々な事に手を出しながら助けられて生きて来た気がする。  そもそも入学当初から危ういところを救われた。合格発表を見て落ちたと思った私がとぽとぽと帰りかけると、同じ中学の同級生と出くわし、もう一度見に行こうと言われ戻ってみると受かっていたり、入学手続最終日に忘れていたら電話が掛かって来て入学辞退で艮いのかと聞かれ、母が頼んで翌日迄締め切りを伸ばして貰ったりで、普通なら入学出来ていないところだった。  2年生の時、生徒会の次年度予算総額の計算を間違えてかなり多く見積もってしまい、三次折衝迄して承認された後に発覚し、予算折衝のやり直しを余儀なくされた時は、たまたまその年から導入された必修クラブの予算と組み合わせて何とか切り抜けられそうだとの高木先生の助言に助けられた事もあった。 卒業後5浪しての受験に再び失敗し、もう流石に諦めた翌年、いつもの様に剣道部の指導に行った時の事、関口先生から「今年も又始まるなあ。」と言われたのに対し、諦めた事を伝えると、「お前だけは絶対最後までやると思ってたのに。」と残念そうに呟いてくれたのが強く心に残り、結局6度目にやっと合格して画家としての今がある等、一橋との出会いがさりげなく私を支えてくれた事が、他にも数多いのに今頃になって感謝している。 今年65才になる。その間同窓会活動を通して途切れる時無く一橋と関わり続けて来たが、そろそろ区切りをつけなくてはならず寂しい限りではあるが、母校の名が存続する限り見守って行きたい。