神奈川県立川崎高等学校同窓会「柏葉会」
 
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 会員情報を募集してます

本コーナーに同窓生関連情報を掲載ご希望の方は、事務局まで、電子ファイルでお送りください。スペースに制限はありますが、出来るだけ掲載できるようにします。
1)クラス会開催情報
2)同期会開催情報
3)同窓生の活躍、音楽会、展示会、イベント情報 等
4)同窓生の作品紹介
5)自分の作品紹介
6)同窓生のホームページの紹介、リンク




母校の情報
 
校長挨拶
   
  県立川崎高等学校長   平松 和夫    
   

 平成16年4月、フレキシブルスクール川崎高校の開校の年に、川崎南高校から川崎高校へ異動し、教諭、総括教諭、全日制教頭、定時制教頭として8年間、新タイプ校の誕生からその変遷を見届けてきました。その後、鶴見高校副校長、津久井高校校長を経て、今年5年ぶりに校長としてこの川崎高校に戻ってきました。

 多くの職員や同窓会関係者の皆様から「お帰りなさい」という言葉をかけていただき感無量です。学校の創設に参加させていただいた教員が校長として再び戻ってこられたことは、県立学校144名の校長の中でも最も幸せな校長の一人だと思っています。

 さて、川崎高校同窓会(柏葉会)は今年90周年の節目の年を迎えます。心からお喜び申しあげます。長い伝統を基盤として、その上に新たなフレキシブルスクールという仕組みを展開する本校において、歴史に刻まれた思いを現時の在校生と共有できる場面を作ることが私の使命のひとつと考えています。これからも柏葉会と連携し、新たな「県川」の歴史を歩み続けていきたいと考えております。どうぞこれからも、本校の活動に対するご理解とご支援を賜りますようよろしくお願いいたします。


   
     

母校のグランド、校庭整備が完了
 グランド、正門が完成し、両側の植栽整備と正面にビオトープが完成しました。2007年3月に小川と池のビオトープの「通水式」が環境委員の生徒、PTA、川崎市役所等の関係者の皆さんが参加して行われました。地下からポンプで汲み上げた地下水が流れており、4月に入って池を覗くと、オタマジャクシが元気に泳いでおり、餌となる藻類も生育しています。
 秋になり、ビオトープの隣のミニ水田では水稲が実り、刈り取りも終わりました。


同期会の情報     
   
川崎高校41期同期会案内(2017.1.6.up)
   
 
神奈川県立川崎高等学校昭和47年3月卒業の皆さん!還暦後の第2回同期会を開催します。お知り合いの皆さんに声をかけて下さい。

時;2017(平成29)年9月23日(土)秋分の日 2:00pm開始
所;川崎日航ホテル 12階西の間 
呼びかけ人;秋山誠(4組)/金子(石渡)登美江(2組)/加藤孝夫(4組)/菅原均(6組)/松田均(7組)

参加される方は、以下のサイトからメールを送ってください。
川崎高校41期同期会案内




   
昭和46年卒業生 同期会「川高46会」からの報告
   
 
2012年幹事一同(3年3組有志)
小林 秀行、近藤 安子、田中 民男、八田 進平(文責)、星 英行、三浦 久美子、溝部 豊


 2012年(平成24年)5月12日(土)、毎年恒例になりました同期会、「川高46会」を母校から徒歩5分のサンワークかながわ大会議室にて開催しました。今年のテーマを「60歳のあなたと17歳のあなたが出逢う日」とし、還暦祝いを謳ったためか、過去最多である92名の参加を得ました。定年退職の時期を迎える同期が集うため、今後の年金生活を念頭においた「節約しつつ最大限の楽しみを得る」をコンセプトに、当日のプログラムを企画しました。
 開始時刻は13:30でしたが、1時間前に有志による川高周辺記念ツアーを実施し、47名が参加しました。山川副校長のご協力による川高内見学ツアーも好評で、赤い「法被(ハッピ)」を身につけた幹事を先頭に校舎内を練り歩きました。
 従来の会食主体の内容と異なり、今年の46会は授業形式で進行しました。担任は幹事から選出(田中君)、ウイットに富んだトークが受けました。専任講師(これも同期の小林弁護士、松永医師)による特別授業は年代に即した内容で、大好評でした。  以下に進行の概要をご紹介します。


46会開始   13:30〜13:40   本日のプログラム内容説明
     田中担任:注意事項の説明(西条!)と「早弁許可」宣言
ホームルーム   13:40〜13:50
     田中担任:転入者(初参加者4名)の紹介と一言
1時限目   13:50〜14:10   倫理社会
     小林講師:「金融商品取引事件からみた老後の資金の守り方」
2時限目   14:10〜14:30   保健・体育
     松永講師:「健康講話;がんの話し」
休み時間   14:30〜14:45   正規の食事時間
3時限目   14:45〜15:05   日本史
     田中担任:「1969年とはどういう時代であったか」
     アポロ月面着陸、大学紛争、イージーライダー、ピッピー、男はつらいよ、「オー・モウレツ!」、
     イエロー・サブマリン、8時だよ全員集合開始、等
課外活動   15:05〜15:35   DVD鑑賞
        16:15〜16:30   集合写真撮影


課外活動は1969年の学園紛争時に放映されていたNHK番組、現代の映像から「断絶の学園」を全員で鑑賞しました。川高の学園紛争に関する映像が多く含まれており、約30分間の衝撃的内容に涙したメンバーも多数いました。当時の川高で起こったバリケード封鎖を全員が経験、当事者も今回の46会参加者にいました。
 参加者に漏れなく配布した次のプレゼント3点も遊び心いっぱいで好評でした。
@「断絶の学園」のDVD
A清涼飲料水:ビン入りチェリオ1本(在学時、食堂前の自販機で購入できました)
B赤いTシャツ(チャンチャンコの代替、川高校章付き):川高校章の使用につきましては山川副校長のご尽力により柏葉会のご理解を賜り、感謝いたします。


還暦Tシャツのイメージ

 二次会は川崎駅近くの居酒屋で87名が集合(今でも相変わらず飲み放題メニューを選択)。一次会・二次会の参加、プレゼント等総ての費用を6千円の会費で済ませ、節約のコンセプトを実現しました(但し、足が出た約8千円は繰越金から補填しました。スミマセン)。本当に17歳当時の自分に出会え、60歳の愉快な同期メンバーとの再会・出会いがあり、懐かしく且つ楽しい一日を過ごすことができました。

 来年の幹事さん(4組)、宜しくお願いします。


2012年46会集合写真

   
     
   
29回生昭和35年卒 第7回同期会のお知らせ
   
 
 35年卒同期生の皆様、お元気でお過ごしですか。
 これまでは、3年毎の開催でしたが、前回の席で皆様にご承認いただいたように、今回からは2年ごとに開催することになりました。
 私たちが川高を卒業したのは昭和35年(1960年)、およそ50年の歳月が経過しています。お互いに『元気で長生き』を合言葉にして、これからの人生を楽しく過ごしてゆきたいものです。
 今回は、4・5・6組が合同幹事として、開催することになりました。恩師の先生方にもご参加をお願いしておりますので、大勢の皆様にご出席いただきますようお願いします。楽しい集いにしたいと幹事一同張り切っています。

日時:
平成21年11月14日(土)午後2時〜8時30分、受付は1時30分より

場所:
川崎市産業振興会館4階(前回と同じです)
川崎市幸区堀川町66−20(JR川崎駅北口から徒歩5分)

会費:
6000円

同期会の皆様へは、ご案内の郵便をお送りしております。同封の返信はがきにご出欠をご記入の上、9月30日までにご返送ください。

   
     
 
33回生は永遠に「燦々」です
   
  友兼清治(33回 昭和39年卒)    
   
 赤〜い夕陽が校舎を染めて〜、楡の木陰に弾〜む声〜」――舟木一夫の、あの『高校三年生』が大ヒットした年(1963年)、私たち第33回生も高校三年生でした。あれから約46年、かつてのイケメンもマドンナも、人生それなりの修羅場を潜り抜け、いまや六十四歳。良い「おじ(い)さん」「おば(あ)さん」になりました。 

 同期会の発足は1995年に遡ります。折しも神戸が大地震に見舞われた年でした。以来、三年間隔を目安に1999年(2回目)、2002年(3回目)、2005年(4回目)と回を重ね、昨年(2008年)10月18日、第五回目の同期会が川崎のカメリアホールで開かれ、今回の出席者は78名でした。
 第3回目までは会場の片隅で名刺交換なども行われ、なんとなく異業種交歓会の趣もあり、それはそれで「現役」のエネルギーを感じさせましたが、還暦後の四回目からは雰囲気がガラッと一変。会場のあちこちで写メールを見せながらの孫自慢。もちろん、現役もまだまだたくさんいますが、リタイアが始まり、子どもも自立し、公私に重たい荷物を降ろしはじめて、みんなの顔が柔和になりました。仲間のそんな変貌ぶりを眺めたり、セピア色になりかけた高校生時代の思い出を手繰り寄せたり…。外見こそ大きく変わりましたが、ちょっとした会話や仕草を通じて、考え方や行動様式はかつてとほとんど変わっていないことにいまさらながら驚きます。そんな時間のふくらみがお互いに元気の素です。
 
 大型の寄付を期待できそうな政治家と実業家は見当たりませんし、老後に必要な医者と弁護士もいませんが、ビジネスパーソンをはじめ、公務員・技術者・研究者・経営者などほとんどの分野に出身者がいて心強いかぎりです。
 いよいよ名刺不要の「タダの人」。 「可もなし不可もなし」は大いに「可」です。「長い老後を低額年金で乗り切るには健康こそが最大の節約」と同期会の最後に申し合わせて散会しました。第33回生の33(さんさん)が「散々」にならず、ますます「燦々」と輝くことを願って、また元気で会いましょう。3年後に「全員集合!」を呼びかけます。

   
     
 
昭和20年入学生も喜寿
   
  高橋英夫(20回生・S26年卒)    
   
 昭和20年終戦直前に、川崎中学に入学した生徒も、今年は喜寿を迎えることになりました。大部分の同期生は中学から高校へと多感な時期の六年間、激動の時代を過ごした思い出深い母校です。
 入学直後に戦災に遭い、止むなく転校して行った者、そして再び戻ってきた者、学童疎開で地方に行き、行き先の中学に入学し、戦後落ち着いたので転校して来た者等、入学当初一・二年間は混乱した時代でした。
 戦後は物資の不足で食糧も十分でなくひもじい思いで過ごした20期生は、その後の時代の波にもまれながら生き延びてきて、喜寿を迎える歳になりました。
 既に鬼籍に入られた方は53名(卒業時210名)、連絡のとれない方のうち何人かが亡くなっているとすれば三分の一は故人となっております。

 11回目の同期会は平成21年4月5日、川崎駅ビルカメリアホールで開催しました。発起人を代表して挨拶をした浅澤(旧姓井上)誠夫君が、昨年から今年にかけ鬼籍に入られた同期生は6名との報告があり、自分たちの歳を思い知らされました。
 乾杯の発声は棚倉謙治君が行い『喜寿おめでとう』と力強く杯を上げました。
 最初に大阪大学名誉教授の子安宣邦君から私どもの生きた時代、特に戦中戦後の時代をまだ記憶のはっきりしているときに後輩のために何か書き残そうと提案がありました。
 一冊の本にまとめる事は大変なことですが、何人かの編集委員を決め検討に入ることにしました。
 続いて、元鶴見医師会の会長で、現在小児科の畑実君から『健康で老後を楽しく過ごすために、ぼけないための心と身体の健康』と題して、資料を配付してお話をいただきました。
 資料の中に「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」として、一部を紹介すると

  年をとったら出しゃばらず
  憎まれ口に泣き言に
  人の陰口愚痴言わず
  他人のことを褒めなはれ
  聞かれりゃ教えてあげてでも
  知っていることでも知らんぷり
  いつでもアホでいるこっちゃ

 参加者から、この会はいつまで続けるのかとの声があり、発起人からは、私たちの体の続く限りとしながらも、あと数年後の傘寿までなんとか続けようと、皆さんが元気で参加できることをお願いしました。
 最後に、恒例の川崎中学の校歌を西宮市から馳せ参じた友野成二君のタクトで斉唱し、来年の再会を約して散会しました。

   
     
 
川中六期同期会から報告
   
  六期会世話人  宮本 敦    
 
 私たち昭和十二年三月四日卒業の六回生(卒業百二十九名、四年から上級学校進学者十三名)は、略々全員が今次大戦に参加し、滅私奉公青春をお国に捧げました。その結果確認された戦死・自決十四名を出し、その上今日でも生死不明で連絡のとれない者が十三名、他界者八十一名で、現在連絡のとれる者は三十四名となりました。
 卒業後同期会を時折開いておりましたが、戦時中は中断し、戦後世の中が落ち着いて来た昭和三十七年夏に復活し、爾来今日まで略毎年会を開き、時には恩師のご出席を仰ぎ、学校時代を回顧し親交を深めてまいりましたが、平成五年以降恩師のご出席は見られなくなりました。現在の会員は昨年から今年にかけて全員が米寿を迎え、昨年十一月川崎駅ビル翠香園で米寿祝いの同期会を開きましたが、出席者は遂に一桁の九名となってしまいました。私たち同期では米寿でもまだ現役で活躍している者もおります。

(写真説明: 前列右から宮本敦、古屋菊雄、宇佐美利夫、
後列右から根元道彦、海老原勝、中島一良、吉田國男、佐久間吉次、村尾淳)

   
     
   
「川中九回生会」の自己紹介
   
  大神 弘(昭和15年卒)    
   
 簡略に「川中九回生会」と名づけてきた我々の同期会は、毎年十一月の最終日曜日を会の日と決め五十六年の歳月を経て今回に至った。会の創立は、後に東大名誉教授になった碓井君と、難関の陸軍経理学校へ進んだ児玉君の二人が生みの親。暫くして後に横浜国立大名誉教授になった小川君が平成になるまでの名幹事振りを続け、結局我々の頭脳の代表者によってできたような会。だが三人とも謙虚で人柄がよく我々は大いにその恩恵を受けた。今は三人とも他界し淋しい限りだがお陰で後に続く会員が健在、八十五歳の高齢を考えて今、いかにこの伝統ある会を締めくくるかが課題になってきたところです。

会の特徴  昭和十五年卒業以来、戦中戦後の厳しい時代にも常に母校五年間の印象が強く、教師と語り合う気風が続いた。昭和四十年代の数年間は毎年かつてお世話になった先生を順に招待し、林田校長(第三代)をはじめ八名の先生と語り合えた。また、五年間担任と英語を担当した末広先生と川中、庄司の三先生はずっと会の常連でもあった。昭和五十八年以後は夫人同伴(同伴料金不要)も進め、最近は物故会員の未亡人も毎年参加されて生彩を放っている。また、平成十四年には三校合併の新体制の難事を達成された母校現役校長だった畠山利子氏から全国稀なフレキシブル高校の概要を聞き認識を深めた。

会場 初期は母校の校舎を借りて数回、のち二、三転々とした後横浜崎陽軒に定着、約三十年、後ビル再建のため追われ横浜駅西口地下街の突き当たり現在のホテルキャメロットジャパンに移り今日に及んでいる。土曜日に賑やかな地下街を結構歩き、その上長い階段を這い上るには我々の年齢ではちょっと酷すぎるため、前述の会の課題の一つになっている。

会員 中学入学当初は三クラス、総員約百五十名、通学範囲は東京、川崎、横浜がそれぞれ三分の一ぐらい、軍国主義が進み卒業を待たずに軍関係の学校に進んだ優秀者約一割、進学した者の大部分も学徒出陣等の国策により強制入隊。軍歴に関係のなかった者はほんの一握り。しかも戦後の焼土、物量難の中で同期会の創設と運営は並大抵のことではなかった。
したがって昭和十七年に産声をあげた会は戦中は壮行会の様相を兼ね、四十年以降会場が定着し毎年確実に開く会に進展するまでは平均二十名前後、それ以後は五十名を最高に平均三十名前後で平成の時代に入った。時に七十歳に近かった。最近は毎年物故者の追悼二、三名。多い年には五指を越え昨年の会はついに七名と女性五名、鬼籍の先人に想いを馳せ、ここは?燭の焔の如く最後は気勢をあげて幕を閉じたい。

その他 卒業五十周年に「風雪五十年」の題名で記念誌を発行。四十三名の寄稿、百二十四頁にわたるしっかりしたもの。また、五十周年、六十周年にはそれぞれ横断幕を作製し特別会場(神奈川・長野)で宿泊の旅を兼ねて開会。なお、総会以外には二、三泊の小旅行を有志で数回実施している。還暦(六十歳)の年には幹事夫妻の特別な努力により参加者全員三十二名が素敵な揃いのユニホームで会を楽しんだ(写真)。祝いのセーターは薄手の純毛エンジ色のスマートなもので左胸の白色の刺繍「柏にかんらん」の川中の校章は懐かしく、親しく誇らしいものだった。

昼食会 総会以外に我々同期生が楽しんできたもの。昭和五十六年に発足、毎月第三土曜正午から二時間、全く自由勝手に決まった店に集まり、飲食も支払いも個人別、話題は主に健康、趣味、旅など豊かで絶えることなく、店は後半になって総会場と同じになったが何と実に二百五十九回を重ね、四半世紀近い集いの幕を静かに閉じた。

おわりに柏葉会の発展とフレキシブル母校の発展をこの機を借りて心から祈ります。

   
     
   
「十回目の集い」
   
  高橋英夫(20回生・S26年卒)    
 
表  彰  状
   
 
元三年二組 友野成二 殿
   
 
 あなたは本会の懇親会に遠路西宮市から一回も欠席する事無く馳せ参じ、楽しい会をつくるために多大なご協力を賜りました。
 ここに十回目の懇親会にあたり、その功に報いるため表彰致します。
   
 
平成二十年四月六日
   
  神奈川県立川崎高等学校二十期会
発起人代表 浅澤誠夫 印
   
 
 恒例の二十期会懇親会は、平成二十年四月六日川崎駅ビルカメリアホールで四十六名の参加を得て開催しました。
 今年は再会を果たしてから十回目の節目でしたが、第一回目は八十名の参加が、今回は半数余、冒頭、発起人を代表して挨拶をした浅澤(旧姓井上)誠夫君が、昨年から今年にかけ鬼籍に入られた同期生は四名との報告があり、自分たちの齢を思い知らされました。
 乾杯の発声は野崎眞弘君が行い、残った者は更に元気で行こうと力強く杯を上げました。
 今年も特にテーマを設けなかったので、話題の中身はお互いの健康の話、趣味の会の話、昔の写真を持参して若かりし日の姿に思いを馳せていました。
 会の最後に少々遊び心で表彰式を行い、前掲の表彰状を兵庫県西宮市から毎年出席し、最後には必ず校歌の指揮をとる友野君に贈呈しました。フィナーレは何時もは友野君のタクトで校歌を斉唱するのですが、今年は川崎中学の校歌にブラスバンド風のCDの伴奏を大音量で流しこれを背景にして歌いました。
 このCDは、音大出身の滝沢栄助君が作曲し持ってきてくれたもので、会のフィナーレに相応しく、友野君と滝沢君の二人でタクトを振り、声高らかに昔日の思いを込めて歌い、会が大いに盛り上がりました。
 高貴高齢者(後期の間違いでした)の健康保険証をいただいた今、この会もいつまで続けられるか、既にロスタイムに入っている歳なのでレフェリーの笛が鳴るまで頑張ろうと、覚束ない足取りで散会しました。

   
     
 
川高46回
   
  安藤栄治(40回生、S46卒)    
 
 川高46会、昭和46年卒業の同期会の名称です。十六年前寿司屋の主人となった小笠原と、亡くなった福井が中心となって十人の仲間が集まり、「来年同期会をやりたいな」と始めたのがキッカケでした。翌年、岡田屋モアーズの銀座アスターで四十名ほどで開催しました。四十歳の時でした。
 現在、三百九十三名の内残念ながら亡くなってしまった人が十二名、同期同士で結婚した人が九組十八名であります。
 今年も例年どおり五月の第二土曜日に五十一名の参加で行われました。昨年の柏葉会主催で行われた「川高八十年記念写真展のミニ版のコーナーを設け、大いに賑わいました。
 一次会・二次会で共通することは、料理も多く残り、カラオケのリクエストもそんなに多くなく、話に夢中になっていることです。在校時の話をするよりも、現在・将来の話をすることのほうが多いように見えます。一人一人が全員の前で「一言、二言、三言」話す機会を設けてあります。
 この46会に参加することで一年間の生きるパワーとエネルギーをもらえる会として存続していければとおもっております。
 あと5年もすると各人の情況に変化が見られるとおもいますが、将来、柏葉会に一人でも多く参加する仲間が増えてくれればと思っております。